2010年8月13日金曜日

日本も規格づくりに参加した ISO26000

お盆で夏休みな人も多い今日は、いろいろたまったメールや資料を整理する。

いつも楽しみにしている藤井敏彦さんの「CSRの本質」でためてしまった記事を読む。

この回は「続・社会的責任ISO26000私評:ガイダンスという名の規格」と名がついている通り、長らく協議が難航していた CSR の規格、ISO26000 にふれられている。

ISO26000 という国際規格の策定のために、各国から企業や行政だけでなく、消費者や市民団体などからも代表が出て、草案作りを続けてきた。それが始まったのは、まだ私が前職についていた時だから、かれこれ 3 年以上も経っていることになる。

関係者が多い分、協議を何度重ねても思うように進展しなかったが、やっと今年中に成立するらしい。

かたや、巷で電子書籍が流行っているが、黎明期であるが故にやれ Apple だの Amazon だの、電子書籍のフォーマット争いが絶えない。かといって、これを放置していけば、利用する消費者にとっても、コンテンツを供給・制作する企業にとっても、閲覧する機器を開発する企業にとっても、多岐にわたるフォーマットを網羅することは不便この上ない。

すでに電子書籍も共通のフォーマットを模索するコンソーシアムが動き始めているようだが、やっと重たい腰を上げたばかりの日本企業はどうも後ろ手にまわってしまっている。それどころか、元々他国と協議して何かを生み出していくという習慣がないために、お得意の技術で独自のフォーマットを開発しようとさえしている。

「ガラパゴス」と自ら揶揄する日本の携帯業界のごとく、電子書籍も独自のスタンダードを築くことで、どんどん内政化を進め、ひとりぼっちになりかねない。

「今、日本は規格作りに加わるべきだ」

そんな発言を耳にして、久しぶりに ISO26000 の記事を読むと、やはりこの規格は、日本もその創設に加わったことの意味を改めて考えさせられた。

もちろん、 他の規格と違って「ガイダンス」と位置づけられている ISO26000 は、制裁や罰金を科す他の規格に比べて拘束力が弱い。でも、その作成に日本からも様々な層の人々が加わったことに大きな意義がある(ドラフト作成の過程でもその点を参加者は強調していた)。

規格のドラフト案作成に加わった参加者の方々による報告会へも何度か足を運んだことがあった。

国際規格をつくる過程で、他の参加者が見せた積極さ、多くのステークホルダーと話し合いを進める巧みなリーダーシップ、遅々として進まない協議への苛立ちなど、発見や驚き、ためらい、とまどいなど、様々な感情のつまった生々しいレポートを聞く機会を持てた。

もどかしい思いもあるかもしれないけれど、国を超えた遥かに大きな舞台で何かをつくりあげていくことの困難さを実感できたことは大きい。その経験がこの規格の策定だけでなく、今後いろいろな場で生かされていけばいい。

ズブの素人のつぶやきに過ぎませんが、参加した方々は本当におつかれさまでした!

参照:
藤井敏彦の「CSRの本質」 「続・社会的責任ISO26000私評:ガイダンスという名の規格」

0 件のコメント:

コメントを投稿