2011年1月2日日曜日

もちを焼いて想うこと

毎年お正月というと、わが家では祖父母の家から引き継がれた、昔懐かし電熱器のもち焼き器でお雑煮用のおもちを焼く。

とくに担当が決まっているわけではないけれど、毎年もち焼き担当になる私。

今年も家族の人数分のおもちを交互に焼きながら、こまめに焼き加減を見て網の上のおもちをひっくり返す。

おもちって本当におかしなもので、あるところから突然「ふにゅー」と軽い音を立てて、今までの 2 倍はあるんじゃなかろうかという大きさにまで膨張する。その沸点に達した時の変貌ぶりには、毎回感嘆せずにいられない。

そんなおもちを焼きながら、「やきもちを焼く」とは、なんとも愛嬌のあるいいまわしだよなあ、とつくづく感じ入ってしまう。

何かの折に、突如意中の相手のライバルを見出して嫉妬の想いに駆り立てられる。それが「ふにゅー」「ぷわーん」と一気に膨れ上がるおもちにかけらているのが何ともユーモラスで、この言葉を考えついた人のセンスに脱帽。

そこまで一気に膨れ上がるおもちだけど、一度火から下ろすと途端に縮んでしまう。
嫉妬に駆られる想いの方はどうだろう。やはり喉元過ぎれば熱さ忘れる? いや、必ずしもそうとは限らないけれど。

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