2010年10月27日水曜日

英語と芝居の修業は同じ!?

まだ英語のコースが始まって2 週間ということもあって、次の授業までにきちんと宿題を終え、時間が許すかぎり復習をする。

毎週、キーになる言い回しをいくつか授業で紹介される。
最初の週は、相手の言うことがよく分からない時に言うフレーズ。

 What do you mean by? それはどういう意味ですか?
 What do you mean exactly?  正確にはどういう意味ですか?
 Could you be more specific? もっと詳しく話してもらえませんか?

などなど。

一番聞き慣れないフレーズを口惜しくて何度も繰り返す。

 Could you run that by me again? もう一度説明してください
 Could you run that by me again?
 Could you run that by me again?
 Could you run that by me again?
 Could you run that by me again?
 Could you run that by me again?
 Could you run that by me again?
 Could you run that by me again?
 Could you run that by me again?
 Could you run that by me again?
 Could you run that by me again?
 Could you run that by me again?

まるで芝居でセリフを覚える時みたいだ。何度も何度も口にすることで、すっかり体になじませ、自然に流れるように出て来るまで続ける。ごく自然に口をついて言葉が出るようになって、初めて次に進める。

これがダンサーであれば、振付が体に染み込むまで、何度も何度もステップを繰り返す。先日観たドキュメンタリーの中の吉田都さんも全くその通りだった。

星飛雄馬であれば、納得が行くまで何度も何度も投球や打球を繰り返す。

演劇であれ、舞踏であれ、スポーツであれ、まずは基礎となる部分を繰り返し、無意識でも出てくるほどにしっかりと体に定着させる。それができて、やっと自由な表現ができる。その傾向は、伝統芸能であればさらに強まるのだろう。そんな劇団時代に習ったことを思い出す。

今日はアメリカのチームと電話会議をしていて、もう一つのフレーズの方がすっと頭の中に浮かんだけど、何度も繰り返したCould you run that by me again? の方は全くと言っていいほど出て来なかった。だめだ、まだまだ体に染みついていない…。

 Could you run that by me again?
 Could you run that by me again?
 Could you run that by me again?

今日も念仏のようにぶつぶつ繰り返すしかない。

[プロボノ日記] 予定大幅変更の恐れ!?

中間提案のさらに先、先週ワイヤーフレームやサイトマップを囲んであれこれと検討した内容を今日は再度 NPO に提案した。

今日は、リーダーとデザイナーとコピーライターと私。マーケッターは仕事のためお休み。そして NPO 青い空の皆さん。さらにサービスグラント事務局から 2 名と、今回も大所帯。 青い空の皆さんが用意してくれたおにぎりやちらし寿司、煮卵などのお総菜をいただきながらの打ち合わせ。

サイトの構成とともに、どのような原稿を書いてほしいのか、どんな写真素材が必要かなど、具体的なコンテンツ制作に関わる部分も確認する。さすが、仕事で経験を積んでいるデザイナーとコピーライター。

自分達では、もうこれ以上ないという準備の施しようだったし、昨日の「120 %の準備が自分を支える」ということばをつい思い出す。

しかし、青い空さん 側からいろいろと質問を受け、思いがけない要望も上がってきた。

今まで、青い空さんのおもな活動内容は CAP で、今回のサイトのおもなコンテンツも  CAP をメインの内容に据えて構成やコンテンツを練っていた。それが、その他の活動内容のセルフディフェンスとデート DV も同じ重み付けをしたいという声があったのだ。

そうなると、サイトの構成が変わり、1 番上位の階層に新たに 2 つの項目が追加されることになる。ウェブサイトで言えば、グランドメニュー (よくサイトの 1 番上や左側に並んでいるメニュー)に変更が生じることになる。

影響はサイトの構成だけではない。
主題が多様化すれば、サイトで訴えたいメッセージが変わり、デザインもコピーも変わってくる。

もちろん、NPO 側でどうしても必要な内容であれば追加する。
ただ、あまり多様化しすぎても主張が薄まってしまって、サイトを訪れた人に何を訴えたいのか伝わりにくくなるリスクもある。サイトの持つ訴求力を考えると、むやみに核となる部分を広げすぎない方がいいと、デザイナーとコピーライター担当からはアドバイスをしておいた。

ふと先日参加した css nite で、株式会社ワンパクの阿部 淳也さんが話していた、関係者巻き込み型の要件定義を思い出す。制作の上流から発注者も巻き込み、一緒に作業をしていくことで、発注者側にも当時者意識が芽生え、常にお互いに同意の上で制作を進めていくので、作業の手戻りのリスクが確実に減るらしい。

いつも一緒に作業を進められたら、実現できるし、これは関係者全体が無駄なく、同じベクトルに向かって行けるいい案だ。

でも、逆に離れて作業することを嘆くだけの必要もない。発注者と距離を取れていると、相手の意見に同調することなく、客観的にプロジェクトを見ることができる。そうした期間にアイデアを熟させて、練ったものを発注者とシェアすればいい。

…と少し脱線したが、
最後にサプライズとして、デザイナーが作成したデザイン案 2 種類を公開。

デザイナーが作成したデザイン案を2種類を紹介すると、少し議論が行き詰まりかけていた雰囲気の中でふわっと歓声があがる。

最終的に目指す形を具体的なイメージで提示できるのは心強い。
お互いに理解が足りない部分があったり、まだ不明確なままの部分があっても、「最終的に目指していくものはこれなんです」とゴールが見えると、そのゴールに到達するためなら、今の議論も悩みもなんとかしよう、と意欲が湧いてくるのだ。

お互いに意見や質問を十分に交換し合うと、あっという間に10時半。
外では強い風がピューピュー吹いている。
 
さて、この提案を踏まえて、どんなフィードバックを NPO サイドからいただけるのか楽しみにしていよう。

2010年10月26日火曜日

改めて、吉田都さんに感動

NHK の「プロフェッショナル 仕事の流儀」に、元英国ロイヤルバレエのプリンシパルである吉田都さんが 2 度目の登場。

今回は「元」がついてしまうように、15 年以上もトップダンサーとして活躍したバレエ団の最後の公演までの 3 ヶ月間を追ったドキュメンタリーだ。

ロンドンでの最後の演目の「シンデレラ」や日本公演の「ロミオとジュリエット」の様子も映し出される。ロンドン、そして何度通ったか分からないロイヤルオペラ劇場も。

通常、舞台中継をテレビで観てもいまいちだけど、彼女の演技、とりわけ私も生で観た「ロミオとジュリエット」の演技力はテレビの前にいても胸が苦しくなり、目頭が熱くなる。

たまたま見かけた「スーパーバレエレッスン」で講師役の彼女が、生徒を指導するふとした動きもそうだったけど、ともかく彼女は演技力・表現力が豊か。きっとそれは心も体も柔軟だからなしえているのだろう。心も体もやわらかくするって本当に大切だ。演劇をしていた時に何度も聞いたけど、柔軟性があるからこそ、相手の演技を受けることも、そして返すこともできて表現が豊かになる。

それは何も演技だけの話ではない。充分、日常生活でもあてはまる。心がやわらかさを失い、硬直してしまったら、世界から遮断され、生きる道を見失ってしまう。

以前、この番組でも垣間みられた彼女の毎日の生活は、優雅で美しい舞台からはかけ離れた、壮絶で苦しい闘いの日々。

体の故障に悩まされる肉体的な闘い、
東洋人としての外見のコンプレックスに苦しむ内面の闘い、
他のダンサーに追い越されないようにというプレッシャーとの闘い、
自分の踊りや演技との闘い……。

でも彼女は踊り切った。
比較されることの多い、同じバレエ団の花形ダンサーであるバッセルやギエムが去った後も、彼女は踊り続けて、自分の踊りの美を追求した。ともかく懸命に、がむしゃらに。

楽屋でトゥシューズの中敷を外し、滑りすぎないようにソールを削ったり刻んだりする。前の回では、足になじませるために新しいトゥシューズのつま先を床やへりに叩き付けていた。そんな様は、アーティストというよりも職人のよう。

ひたむきな情熱が彼女の踊りを支えてきたと言ってもいい。
だから外見に関するコンプレックスも飛躍するためのバネに変えることができたのだ。

自分が劇団にいた頃の外見に関するコンプレックス、
留学していた頃の語学力に関するコンプレックス、
そして海外生活での差別……

自分にも同じようなことがあったなと、今ではちょっぴりほろ苦い思い出が記憶をかすめる。

情熱が彼女の何にも勝る原動力だったからこそ、番組の中でも何度か漏らしていたように、「なんだか安心してしまっている自分」になってしまっては、今までと同様、貪欲に踊り続けることは難しいといち早く察したのだろう。

自分の頂点で退く、そうした選択肢を得た彼女は勇敢であり、潔く、そしてそれを選ぶことができたのはとてもラッキーなことだった。同じようにダンサーとしてのキャリアの絶頂で引退したダウシー・バッセルと同様に、それだけ自分の踊りへのこだわり、美への強い執着があったのだろう。それがまたカッコいいのだ。

人間は本当に上手くできていると思う時がある。
年齢を重ね、体力が落ちて弱くなっていくとともに、これ以上望まないようにと心も安定していき、あまり冒険をおかそうとは思わなくなっていく。無理に頑張りすぎるのもどうかと思うが、吉田さんの場合、心の持ち方でこうも見事な去り際を飾ることができるものかと、ただひとしきり感心するばかり。

120 %の準備が自分を支える」という彼女のことば、

そして、プロフェッショナルとはと訊ねられて彼女が答えた

情熱と誇りを持って、ひとつのことをコツコツとやっていける人…

その両方が私の心の琴線に触れた。

私もまだまだだな、もっともっとできることがある。
今からでもまだ間に合う。

参照:NHK「世界のプリマ 最後の闘いの日々 バレリーナ・吉田都」

2010年10月18日月曜日

イングリッシュパブと iPad

どうしてもイングリッシュパブで期間限定の生ビールを飲みたいという友達に呼び出され、お気に入りの渋谷のパブに集まった。

じつは数日前に舞台を観た帰りに知人と寄り、その時に見つけたのがイギリス IPA"SWAN LAKE" という地ビールだった。その名も「白鳥の湖」。

ビールとバレエが大好きで、とりわけ「白鳥の湖」をこよなく愛する友人に話したら、目の色を変えて飛び付いたのだ(メールのレスの早さからも、その熱意の程が伝わってくる)。

お互い出先から落ち合ってパブに入ると、さすが週末、店内の席はほとんど賑わって座る場所もない。ひとまず一杯目に本日のお目当ての地ビールをカウンターで立ったまま、チビリチビリと飲み始めた。

途中から、席の半分が空いているテーブルに相席させてもらったので、疲れた足を休めながら、持っていた iPad で夏の旅行の写真を見せ始めた。

「ねえ、隣の人に話しかけてみる?」と、知人がテーブルをシェアしている外国人男性をしめす。どうも人を待っているのか、一人で携帯電話の画面を覗き込んでいる。

提案をするが早いか、友人が見知らぬ男性に話しかける。
彼はすぐに私達が覗き込んでいた iPad に反応し、どこの写真かと訊ねてきた。

私が夏に訪れたアウター・ヘブリディーズ諸島のことを話すと、
「僕はその隣のスカイ島の出身だよ」と言う。
なんたる偶然!

ロンドンやパリなら分かるけど、スコットランドの離島に行った日本人と、離島出身のスコットランド人が東京で居合わせるなど、考えられないぐらい確率の低い話だ。

その後、iPad の画面を囲みながら、2 年前にスコットランドに行った友人も思い出がよみがえってきて、3 人でスコットランドやイギリスの思い出話に花が咲いた。

デジタルカメラのモニターや携帯電話の画面と違って、大きい分複数名で囲んでワイワイと話が出来るのが iPad のいいところ。この日は iPad 様々だった。

感謝の思いで iPad にも気前良くビールを一口お裾分け………
いや、うっかり iPad の画面にビールをひっかけてしまったのだ。

後日、相棒の iPad のスクリーンからアルコール性有機物を拭き取るのに、専用のクリーナーを買ってこなくてはならなかったけど。

[プロボノ日記] ワイヤーフレームの制作に励む

次回のミーティングに向けて宿題になっているワイヤーフレームの作成…。

ワイヤーフレームとは、ウェブの制作過程で、画面のレイアウトや構成を検討するための設計図だ。

我がチームの優秀なプロジェクトマネージャーは、とっくにワイヤーフレームの雛型を作成して、作業の分担まで指定し終わっていた。

それからもう一週間弱、仕事が急に立て込んだり、夜でかける用事が多かったり、昼休みでさえ約束が入っていたので作業する時間がなく、ズルズルと週末を迎えてしまったのだ。

なんとなく頭の中で構成は考えていたし、今までにワイヤーフレームを作成したこともあったけど、実際に打ち合わせの内容を振り返りながら画面を考えて行くと、

「あれ、これってたくさん書くことのある項目だっけ?」
「この内容の分類、大見出しになんだか合ってないよなあ」
「ここに載せるワークショップって、いったいどれくらい種類があるんだろう?」

次から次へと疑問が湧いて来る。

そして、どうも納得のいかない構成を前に悶々としていると、疲れてそのまま眠ってしまうのがオチ。

なんとか会社の昼休みの時間を使って、80 %のできにとどめてチームに提出。
他のメンバーはどうしたかな。まずは課題を終えてほっとする。今夜はよく眠れそうだ。

2010年10月6日水曜日

[プロボノ日記] 果たして中間提案へのフィードバックは…

打ち合わせ場所のサービスグラント事務所に約束の時間の 8 時を少しすぎて着くと、メンバー 3 人とオブザーバーとして事務局の入谷さんが待っている。

今日は、先日 NPO に出した中間提案書について、先方からもらったフィードバックを元にさらに具体的な内容をつめていく。もう次回は制作物の提案になるので、より現物に近いサイトマップやワイヤーフレーム(ウェブページのレイアウト案)を作成しなくてはいけない。

今日は決めることがたくさん!

それを見越して、われらのプロジェクトマネジャーはきっちりとアジェンダを事前に配布し、皆の意識を高めていた。

提案に関する先方からの質問や要望に一つずつ解決案を出して行く。そして、最難関は、NPOから強い要望のあった子ども向けのページだった。

ヒアリングでは、子どもがウェブで青い空のサイトを見る可能性は低く、むしろ親のための資料などがあった方がよいとの声を耳にしていた。でも、NPO 側は、長年アイディアを温めていたこともあり、子ども向けのページへの期待感は高まるばかり。

本当は、今回の新規ターゲット開拓という目的からすると、子ども向けのページというのは関連性は低く、優先順位は低い。しかも、どうしても普通のウェブページよりも凝ったものを想定しているため、工数もよりかかってしまうし、場合によっては他の制作過程を圧迫してしまう恐れさえある。

プロジェクトによくありがちな、本筋とは違うけれども、クライアントにこだわりがあって省略することができず、でもプロジェクトの中では一番手間がかかってしまう…というパターンだ。

ほんと、プロボノは普段のプロジェクトの縮図みたいなものだ。

その場に居合わせた事務局の入谷さんが、作業の進め方や NPO への提案内容について、要所要所で的確なアドバイスを出してくれる。

やはり、今日の一番の山場はサイトの構成づくり

ウェブの場合、必要なページにはリンクを張って、他ページとつなげることができるため、サイトの構成(ファイルの位置や属するカテゴリ)とは異なる、また別のつながりができる。そのため、システム構造的なページの流れと、実際にユーザがたどるページの流れが必ずしも一致しないので、ウェブ開発に慣れていない人には、普通のシステム開発よりも複雑に感じられてしまう。

ページを1つずつ付箋に書き出して、それを並べ替えて、ページの関連性や規模を考えながら、大まかな構成を決める。それをそのまま一覧にまとめれば、サイトマップの完成だ。

次に、各ページのテンプレートを決める。これは今までのサービスグラントのプロジェクトで作られた資料を拝借。こうやって、今までの知の体系が活かせるのは心強い…。

次回ミーティングまでに作成するワイヤーフレームの分担方法や、ミーティングの日取りを決めて、なんとか無事に今日の課題を全て完了。

私が上海で買ってきたブルーベリー味のポテトチップをつまみながら、片付けを始めると、もう時刻は 11 時に迫っていた。

今日もいい仕事をしたなあ、といい汗…ではなく、
ほどよい達成感を抱いて家路につく

ブルーベリー味のポテトチップス、味は普通のポテトチップスだけど、香りと後味が完全にブルーベリー! 

「ブルーベリーガムを食べながら、ポテトチップスを食べたような味」とは言い得て妙。
さすがわがメンバー、コピーライターの高橋氏。

2010年10月4日月曜日

シェリル・ウーダンが語る「21 世紀最大の不公平とは」



初めて TED でレビューを担当したシェリル・ウーダンさんのスピーチの日本語字幕が公開になった。

TED の翻訳プロジェクトのやりとりは、いつもメールだけのコミュニケーションなので、ともすると事務的なやりとりだけで終わってしまうことも少なくない。

今回翻訳を担当してくれたまりんさんとは、最初にレビューの依頼があった時から、今までとは違った流れで作業が始まったこともあり、お互い気遣いながら、人情味溢れる(?)やりとりができた。

プロジェクトが完了して、一緒に作り上げた字幕が公開になると何よりも喜んでもらえて、レビューを引き受けて本当に良かった…。

今回のシェリルさんのスピーチは、発展途上国における女性の教育問題。男性に比べ、どちらかというとお荷物扱いされ、虐げられてしまうことが多い女性も、教育や経済的支援を受けることで様々な可能性が開かれ、社会に貢献できるという事例を紹介している。

幸いにも、「学ぶことはよし」とされた環境で、私は高等教育まで受けることができた。
でも世界には、いや、同じ日本の中だって、家庭や健康の事情など、いろいろな理由で学校にいけない人もたくさんいる。

スピーチでは、教育の機会や経済的な援助を受けることで、全く違った新しい道を歩んでいくことのできた数々の女性が紹介されている。

ただ子どもをたくさん産んで育てればいいのでなく、出産年齢が上がり、子どもを少なく産むことになっても、女性も平等に教育を受けることで、むしろ社会を有効に営んでいくことができるとシェリルさんは、主張している。むやみに頭数を増やすだけの無秩序な社会習慣がさまざまな弊害を起こし、貧しい人、貧しい国は貧しいままになってしまう。

スピーチの後半で話しているように、途上国の援助は決して簡単ではない。ただお金を出し、建物や施設を建てるだけでは思ったように社会の中で有益には使われない。

「宝くじにあたった」我々ーー自分も何をできるだろう、とレビューをしながら考えさせられるスピーチだった。

2010年10月3日日曜日

「プロボノアンテナ vol.2」参加しました

前回に引き続き、今回も参加したプロボノアンテナ

いや、今回はただ参加するだけでは済まされず(!?)、
ゲストトークに出演するよう事務局より要請が。

事務局の大野さんを進行役に、NPO 側として、今までにサービスグラントのプロボノのサポートで団体の通信(会報紙)をリニューアルしたファミリーハウスの植田さんがスピーカーとして参加。そしてプロボノ実践側として、恐れ多くも私が参加することになったのだ。

プロボノによって、NPO にどんなメリットや変化がもたらされたのか、
一方、プロボノを行うスキルボランティアはどんなふうにプロボノを行い、どんな変化があるのか…。ゲストトークではその辺りを焦点にして対談。

ファミリーハウスさんは、難病の子どもとその家族をサポートするため、滞在施設を提供する活動をしている団体。聞くと、10 代から 90 代のおばあちゃんまで実に幅広い年齢層から多くの人がボランティアとして関わっているそう。

80 代のおばあちゃんが、施設のスリッパを磨きに来るだけでも「自分のやるべきことがあるから嬉しい」と話すことばが胸を打つ。

NPO からすると、プロボノで全くの異業種からボランティアが加わることで、ビジネスの立場やプロのスキル・知識から新しい知見が得られるだけでなく、団体に新しい風がもたらされて、メンバーの意識が変わったそうだ。

プロボノを実践する立場からすれば、自分がやったことについて、まっすぐに「ありがとう」と感謝のことばをかけてもらえるので、普段の仕事以上の嬉しい気持ちが湧いてくる。プロボノは、純粋に人に喜んでもらえることが原動力になる。

こうしたゲストトークの内容はワールドカフェでも引き継がれ、「プロボノに期待することは?」というお題の下、4、5 人ずつのグループでディスカッションが行われた。

ワールドカフェは最後に 2、3 の結論を出さなくてはいけない。私のグループはこんな 2 点にまとまった。

  • プロボノは楽しんでやれることが一番
  • 人と人とのつながりから、良い循環が生み出される

それにしても奇遇なのは、前回参加した時のブログの最後に書いたことば「何事もまずは楽しむことが一番。プロボノもね」が今回の結論とも重なっていたこと。

mixi や Twitter といった SNS のおかげで、朝食会や読書会、オフ会など、いろいろな集まりがあちこちで開催されるようになったけど、なぜかプロボノをキーワードに集まった人々とは、初めてでも深い話題を気持ちよく話せることが多い

プロボノの各プロジェクトでも、「たまに相性があまりよくない人が一緒にはなるけれど、決して悪い人は集まらない」と経験者は話していた。

ゲストトークあり、前回フェードアウトしてしまったワールドカフェを最後までできたり、前回よりもステップアップした会で充実した土曜の夜を過ごせたなあ。
主催の方々、参加してくださった方々に感謝。


【追記 2010-10-10】関係者、参加者のブログ記事を発見!

2010年10月2日土曜日

世代を超えた話題とは

お葬式があり、その次は納骨があり、祖母が亡くなると何かと親戚と会う機会が多い。

子どもの時から、私は親戚と会うのが苦手だった。
年の近い従兄弟がいなかったせいもあるけれど、お正月に親戚が集う場に居合わせなくてはならないのは、お年玉をもらうための試練のようだった。

でも、さすがにこの歳になって、世の翠も甘いもかじり始めて社交辞令の 1 つか 2 つも言えるようになってきたからか、久々に親戚同士で集まると、今まで知らなかったような発見もあって予想以上に楽しく感じられた。

世代も職場もバラバラな親戚同士で話す話題というのが面白い。

始めは故人の思い出話に花が咲くものの、次第に話は日常生活にちなんだ話題になってくる。我が家の場合、年配の方が多いので、最近忘れっぽかったり、耳が遠くなる話が多い。

そして話題は今日着ている服になる。

「これ、きちんとしたセットの喪服じゃなくて、下に着ているのは ◯◯ の T シャツなの」
「これもじつは自由ヶ丘の ◯X で買った靴なの」
と、恥ずかしそうにこっそりと、でもどこか自慢気に戦利品を暴露する。

こういう時、庶民的っていいなあと思う。

「どこどこの高級ブランドの〜」なんて言われるより、聞いていて微笑ましい。

それにしても、世代を問わず会話にのぼるユニクロの話題性はすごい。
つい、私も今年はヒートテックを買おうかと思ってしまった。