幸運にも今まで病院のお世話になることも少なかった私は、医療関係の本を読んだことがほとんどない。立岩さんの本は、2004 年に出版されてからずっと、 ALS に関する良書として読まれてきたらしい。
ALS は、次第に運動神経が冒されて筋肉が弱っていき、話すことも、自分で呼吸することもできなくなって、余命が 2、3 年しかとないと言われる深刻な病気(本書を読むと、6 年以上前の時点でもこの余命は延ばすことが可能だと分かる)。
社会学者の立岩さんは、本書で病気の生命や治療方法について記述するよりも、個々の患者、そしてそれを見守る家族や介護者、医師のリアルな反応や心境を書き表している。
私が一番関心を持ったのは、立岩さんが一番ページを割いて書いている「人が生きることを社会が肯定する」、「中立であることとは」という点だった。
体が動かなくなり、何もなすこともできず、何も伝えることもできなくなったら、生きる資格がないように思わせてしまう社会。そのために、この病気にかかった患者は、生きる術があっても、将来の自分を思い浮かべると、自分は生きる価値がないと考えて生きる道を閉ざしてしまう。
それは病だけでない。
この社会では「きちんと就職していないと」「結婚していないと」「結婚しているんだったら、子どもがいないと」「いい大学に入らないと」と目に見えない形で次々と人の心を脅迫し、それを満たしていないと生きる価値がない存在のように思い込ませてしまう。
ALS は今でも完治する病気ではないが、人口呼吸器をつけることで生きる時間を長くすることはできるが、人によっては、「家族に迷惑をかけたくない」、「経済的に余裕がない」と、生きることを諦めてしまう人がいる。
でも、実際には延命するための手段はあり、医療費免除のシステムもある。
それなのに人が生きることをやめてしまうのは、「社会の通念が人を生きにくくしているのではないか」というのが立岩さんの鋭い指摘である。
中立についても鋭い私見を述べている。
命について重大な決断をしなければならない時に、「本人が決めることだ」と中立な立場を取りながら、じつは人の命に対する責任逃れをしているという現実。
これも ALS だけに限ったことではない。誰かが重大な決断や行為をする時に、自分はその責任を取りたくないから、途端に口を閉ざしてしまう。
P143こうした時こそ、その人が生きることを周囲が肯定してあげる必要があり、そうでないと、ほとんどの人が生きにくくなってしまうと立岩さんは書いている。
私たちの社会では一方で、身近な、とくに善意もなにも必要とせず、
むしろそれがうっとおしく感じられるような場面で、
やさしさやふれあいが語られる。
善意が押しつけがましく押しつけられ、それは問題にならない。
他方で、生死に関わるような場面になると、
本人の意志を尊重して云々と言う。
周囲は口を出さないようにしようと言う。
これは逆さではないか。」
人々が生きて行きたいという強い意志、それを見守る人々の葛藤と深い愛情、生きたいのに生きることを選択できない遣る瀬ない人生など、様々なストーリーに溢れ、まだ他にも紹介したい箇所はたくさんあり、とても私の拙い文章ではそのほとばしる激情の一端も表わすことができない。
本書では、「生きること」「生きないことを選ぶ選択」について、時として哲学書のような、深い考察が重ねられて、理解するのが難しくなる部分もある。それでも、ALS という病気を切り口に、「なぜ人は生きるのか」という問いについて改めて考えることになる。
社会…それは自分とは別の「何か漠然と大きなもの」ではなく、個々の人々の心の裏にある世界なのではないか。
難病を切り口とした本書は、人が生きることの本質、人が生きていく上での社会との関わりについて再考するきっかけを与えてくれる良書である。
0 件のコメント:
コメントを投稿