2010年9月30日木曜日

[プロボノ日記] ついに TED のレビュー完了

初めてレビューを担当した TED の翻訳について、翻訳担当者とのやりとりが完了。

Google ドキュメントで作ったファイルを dotSUB で読み込んで…
ところがエラーが出てしまって上手く行かない。

試行錯誤の末、もう一度 dotSUB で srt ファイルを作成するところからやり直す。そもそもこの時点でファイルがおかしい。「source」という列には元の英文が入るはずなのに、翻訳した和文が入ってしまっている

結局力技でファイルを作成して、やっと dotSUB で読み込む。
今度は成功!

過去に自分が書いた手順を参考にしたのだけど、リンク先を変えた方が分かりやすいかなと気付き、あとで修正。

レビュアーは翻訳プロジェクトの最後の段階なので責任重大。
これで翻訳完了のボタンを押してしまうと、もう再編集ができないので、もう一度動画を再生して、作成した字幕で問題がないか確認。

切れの悪い部分の単語を次に表示される文章に合わせたり、数字表記の統一モレを直して、ついに完了報告。あとは TED の事務局の方で最終確認と公開を進めてくれるので、晴れて日本語訳が公開になるまで待つだけだ。

翻訳担当のまりんさん、お疲れ様でした!

2010年9月22日水曜日

[プロボノ日記] ついに中間提案!

TED の初稿のレビューをやっと終え、今夜は 3 度目の青い空訪問。
今回はついに、今回のウェブリニューアルの提案内容を NPO に発表するのだ。

1 名メンバーが減り、そして仕事のためにもう一人も欠席。
プロボノチームから参加したのは総勢 4 名とサービスグラントの事務局の岡本さんだ。

金曜日の事前打ち合わせの通り、プロジェクトマネジャーが提案書を見せながら、他のメンバーが補足の説明も行う。一通り説明が終わると、矢継ぎ早に NPO のメンバーの方々から質問の嵐がーー

続々と押し寄せる反響に、嬉しくなったり、緊張する一瞬があったりしつつも、自分一人ではなく、他のメンバーもいることで気持ちが動じることはなかった。NPO の側から一生懸命質問をしてもらった分、提案をする我々も一生懸命それに答えようと、できうる限り最善の回答やコメントを返した。

それが上手く働いたかどうかは、相手側のフィードバック待ちだけど、終了したらなんとも感無量。

家についてもまだ興奮冷めやらない状態で、何とも形容しがたい高揚感。
なんだろう、この終わった後の高揚感は!?

勝手な思い込みかもしれないけれど、メンバー全員が全力を出して、そして互いを支え合った打ち合わせだった。互いに牽制し合うことなく、ごく自然に自分の担当すべき出番が来ると口を開き、鋭い質問があがると一番適任なメンバーが自ら進んで対応する…そんなふうに暗黙の内に互いをフォローしあえたのだ。

チームワークで絶妙なパスを決めたサッカーの試合、
あるいは、華麗なフリースタイルが紡ぎだされるジャズのセッションのよう。


こうした高揚感や満足感を最後に仕事で感じたのはいつだったろう
とてもいい夜を過ごせてよかった!

※中間提案の様子はサービスグラントのブログでも紹介されています。

2010年9月14日火曜日

[プロボノ日記] NPO への中間提案書作成中

いつまでもお休みモードでいるわけにもいかない。

私が旅行に行っている間やその直前にメーリングリストでやりとりされた内容を読み返し、他のメンバーがまとめてくれた提案書の叩き台を確認する。

メーリングリストのやりとりは決して多い方ではないが、
やはり久々にまとめて行うとかなりの量。しかも他のメールもたまっている…。

たまっていた宿題を片付けて、他のメンバーに追いつくことができた。
やっとスタート地点に立てた気分。

これから今月末に行う NPO への中間提案の内容をメンバーとまとめなくては。

プロボノ再開!

[プロボノ日記] TED で初めてレビューを担当

ネットの縁というのは不思議なものだ。

以前、ブログで TED の翻訳プロジェクトを Google ドキュメントを使って進める方法を紹介したら、なんとその記事を読んだ方から「ぜひ自分の翻訳した字幕のレビュアーになってほしい」というお申し出があったのだ。

仕事で英語を使うことはあっても、とてもプロで翻訳をしている方ほどのスキルはない私…。

一瞬とまどったけど、以前「翻訳に必要なのは語学力だけではない」という翻訳書の編集者の方のことばを思い出し、レビューを引き受けることにした。

それに TED のスピーチはどれも素晴らしい内容で、それを翻訳すればもっとたくさんの人が観ることができる。ところがせっかく翻訳しても、その翻訳をレビューする人がいないためにお蔵入りになっている翻訳がたくさんあるのだ…。

自分も、いざ翻訳が完了してもレビューを引き受けてくれる人がなかなか現れず、このまま苦労した翻訳が陽の目を浴びることはないのか、とヤキモキしてしまうことが度々あった。

そんなこともあり、初めて字幕のレビュアーを担当することに。

2010年9月9日木曜日

写真に映らないレンズの向こう

イギリス旅行から帰った翌日から、祖母のお通夜と葬式が続くことになる。

家に着くと、夏休みをさらに延ばす旨を職場に連絡したり、たまった仕事のメールに目を通したり、旅の後片付けをしたり、洗濯をしたり…。

そうこうしている内にウトウトしてくる。

無理もない。帰りの飛行機の中では、できるだけ時差を解消しようと、我慢して映画も観ずに体を休めるよう努力したけど 12 時間のフライト中はほとんど眠れなかったのだ。一番心地よく眠れたのは、成田からの京成線の中かもしれない。

慌ただしく迎えたお通夜の当日、おばが今までに撮影した祖母の写真をいろいろと持ってきてくれた。家族は棺に入れるため、私がいない間にお正月の家族の集合写真を焼き増ししていた。

そんな思い出の写真を観るうちに、私も明日の出棺までに棺に入れられるよう、今まで撮った写真を探して来よう、と思い立った。

ここ 8 年は、祖母は老人ホームに入っていた。
正直、あまりよく出来た孫でない私が会うのは多くて年に 3、4 回程。そのうちカメラを持参していったのはお正月の時ぐらい。

デジタルカメラを使うようになってから、データは皆ハードディスクに保存したので、まずはそれを探し出すところから。きちんと全てを整理していない私は、探し出すだけで一苦労。

留学時代にロンドンで撮影した膨大な写真を漁っていると、時に思い出に浸りそうになりながら、その山の中から、祖母の映った写真を探し当てた。

留学の合間に帰国した際に撮った写真、留学を終えた後に撮った写真、完全に帰国した後に撮った写真…と出てきたが、どうしても見当たらない年もある。睡魔と疲労が襲って来るけれど、どうしても明日の告別式までにやらなければいけない!

結局、2007 年と 2008 年の正月の写真はお手上げで、どうしても出て来なかったが、棺に入れたり、おばにあげるために、発掘した写真を一覧やスナップショットとして印刷した。

自分が撮影した写真も、おばが撮影した写真も、まだ元気な頃の写真だとにっこり微笑んでいる。もうここ数年は孫の私の名前も思い出せなかったけれども、どの写真も撮影する側への視線が感じられた。

たとえまっすぐ前を向いていなくても、カメラを向けている側への愛着や親近感が写真を通して感じられるのだ。そして逆にカメラを持つ側も、被写体に向けた愛情をもって撮影していることが写真か感じられる。

私の写真の腕前なんてたかが知れているけれども、この両方の親密な空気が、写真の上に溢れていた。

カメラのレンズを挟んで対峙する被写体と撮影者
それはカメラのレンズを間にした愛情のやりとりかもしれない。

写真を作品として観ていると、ついそこに映った像の形や色ばかりに気をとらわれてしまうけど、本当は写真と言う一枚の薄っぺらい紙面には、映っているものの他に、撮影者というもう 1 人別の人の存在がある。この 2 つがあって初めて写真は成り立つのだ。

家族の写真を見ながら、そんなことを改めて思い知らされた。